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旧校舎お別れ会を行いました
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2014.08.29 Friday 08:028月22日(金)、山陽女子中学校・高等学校では、旧校舎お別れ会を行いました。
新校舎の完成・引っ越しに伴い、昭和36年から平成26年までの53年間お世話になった旧校舎の解体工事が始まります。
山陽女子中学校・高等学校では、この旧校舎の解体工事が始まる前に、これまでの感謝の気持ちを込めて、旧校舎お別れ会を行いました。
まずは、各クラスが旧校舎への感謝の気持ちを表した垂れ幕を作成しました。
手形や校章を入れるなど、クラスごとで様々な工夫をしていました。
垂れ幕づくりの様子
次に、各クラスが作った垂れ幕を、旧校舎に飾り付けました。
垂れ幕で飾った旧校舎
旧校舎お別れ会では、校長先生やみさお会会長にお別れのことばを述べてもらいました。
旧校舎お別れ会の最後にはみさおレンジャーも登場し、旧校舎との別れを惜しみながらも感謝の気持ちのみさおボンバーをさく裂させていました。
みさおレンジャーのみさおボンバーがさく裂
旧校舎との記念撮影
山陽女子中学校・高等学校はこれから新校舎とともに新しい歴史を歩んでいきます。
しかし、旧校舎で過ごした時間は忘れません。
53年間、本当にありがとうございました!!
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リサイクル品回収を行いました
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2014.08.28 Thursday 08:03
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【バドミントン部・ソフトテニス部・卓球部】全国大会で活躍しました!!
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2014.08.27 Wednesday 12:09
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【放送部】全国大会で優良賞を受賞しました
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2014.08.26 Tuesday 07:36
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旧本館落成当時の映像(1961年)
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2014.08.25 Monday 19:00
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新校舎への引っ越しを行っています!!
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2014.08.22 Friday 07:418月20日(水)〜22日(金)、山陽女子中学校・高等学校では、新校舎への引っ越しを行いました。
旧校舎から新校舎への引っ越し作業は、生徒と教職員、緑会(PTA)が協力して行います。
机を運ぶ生徒
イスを運ぶ生徒
大階段を通って大きい荷物も運びました
教室に、机・イスなどを配置しました
まずは、旧教室から新教室へ机・イスなどを引っ越しを行いました。
その後、書道教室・社会科教室・入試広報室など、様々な特別教室の引っ越しを行いました。
生徒たちは、重い荷物を運び疲れた様子を見せながらも、新校舎への引っ越しを楽しそうに行っていました。
22日(金)には、旧校舎お別れ会を行います。
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カウラ訪問に参加した卒業生大和さんからの手紙
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2014.08.21 Thursday 18:13
カウラ訪問に参加した、卒業生の大和美緒さん(関西大学3回生)から感想の手紙を受け取りましたので、紹介します。
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7/31-8/7まで、オーストラリアのカウラという地に高校生2人、恩師の野村先生とで行きました。
カウラは、わたしにとって、とてもとても大切な地で、わたしの人生を変えてくれた地でもあります。
カウラは第二次世界大戦中に大規模な日本兵捕虜脱走事件があった場で、たくさんの日本兵捕虜と現地のオーストラリア人の四人が亡くなりました。
高校時代からですから、五年間カウラについて考えています。
戦陣訓ですとか、カウラで捕虜になりハンセン病という病によって隔離され他の日本兵と一緒に突撃出来ず、目の前で仲間が倒れてゆく様子を見つめ続けていた人もいます。
その方は日本に帰ってからもハンセン病により、国からも差別を受けていました。
私が大学に入ったのも世の中の差別問題についてより考えていきたいという思いから私は大学に入学し、三回生になった今、初めてカウラに行くことができました。
今年カウラ事件は70年を迎え、大きな式典が開かれ、現地の学生、大人の方、元捕虜の方とたくさんお話をしました。
様々な意見に触れることは私をより悩ませることに繋がり、毎晩毎晩答えを出そうと必死になったのは良い思い出です。
結局答えは出ませんでしたが。
日本兵のお墓に手を合わせた時、自然と涙が止まらなくなりました。
第二次世界大戦中に起こった事件なんて、数え切れない程あります。
その中の一つをわたしは追うことは何か意味のあることなのだろうか、悩んだこともありました。
しかし、涙が溢れたとき、私には出来ることはまだある。と強く感じ、やっとスタートに立てたと確信しました。
シドニー空港で帰りの飛行機を待つ際、高校時代、わたしも野村先生とたくさんの場所に行ったことを思い出していました。
それこそ、彼女たちと同じ、高校三年生の夏、東日本大震災が起こった半年後の気仙沼に行き、まだ焦げ臭い油の匂いと磯の匂い、現地の方のお話、各建物に貼られた、遺体探索終了の紙、わたしにとって全て刺激的でした。
被災地の方のお話で心に残っている言葉で、『何もいらないから、ただ私たちのことを忘れないで欲しい。』という言葉を覚えています。
カウラ事件だけでなく、悲しいことを風化させない一番の方法は、伝え続けていくことではないでしょうか。
机上で考えるよりも、実際に現地で五感をフルに使い、考えることの大切さ、発信することの大切さを考え直した一週間でした。
カウラ事件体験者立花さんと(2011年:左端が大和さん)
震災半年後の気仙沼市内を訪問(2011年)
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カウラ訪問記
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2014.08.20 Wednesday 18:09
文責:野村泰介(山陽女子中学校・高等学校教諭)
カウラ捕虜収容所跡地
8月2日〜6日、私は山陽女子高校有志生徒と卒業生を連れてオーストラリアのカウラを訪問しました。
訪問の目的は、カウラ事件70周年記念行事への参加と、6年前から交流を続けるカウラ事件体験者、立花誠一郎さんに託されたメッセージを届けることです。
カウラ事件とは1944年8月5日、オーストラリア連邦ニューサウスウェールズ州カウラで起こった日本兵捕虜脱走事件。
この事件での日本人死者数は231名。
第二次世界大戦中に起こった捕虜脱走事件としては最大規模のものです。
当時、カウラの捕虜収容所に収容されていた日本兵捕虜には十分な衣食住が与えられ、強制労働も無く、不自由なく生活をしていました。
そのような彼らがなぜ、無謀ともいえる脱走事件を試みたのか?
その本質は、当時の日本軍の中で絶対的であった「戦陣訓」にありました。
戦陣訓には「生きて虜囚の辱めを受けることなかれ」とあります。
つまり、「敵の捕虜になってはいけない」状態だったのです。建前上、日本軍には捕虜はいない。
しかし、実際にはカウラで捕虜として収容されている。
そのような状況下、彼らが選ぶのは「死」しかありませんでした。
死ぬための脱走だったのです。
私がこのことを初めて知ったのが今から6年前の2008年。
その頃から交流を続けているのが、邑久光明園で暮らす立花誠一郎さん(93歳)です。
立花さんはカウラ事件を目の当たりにした事件の当事者です。
立花さんへの取材は、6年前から現在まで生徒たちに受け継がれてきています。
カウラ日本人墓地
今年、事件から70周年の節目、カウラで盛大に記念行事が行われることになりました。
立花さんは現地で眠るかつて戦友の墓前に祈りを捧げたいと考えていました。
しかし、体調が思わしくないため、どうしても現地へ赴くことができません。
そこで私たち山陽女子高校にメッセージを託しました。
私たちは、事前に録音したメッセージを、カウラにある、事件の犠牲者が眠る日本人墓地で流し、慰霊することにしました。
当日、オーストラリアの様子をインターネットで中継し、リアルタイムで日本の立花さんに見ていただきました。
日本で取材をしていた記者の方の話によると、立花さんは中継をみながら涙を浮かべ「ありがとう、ありがとう」と言っておられたそうです。
タブレットを使ってインターネット中継
事件の起きた8月5日の朝、カウラ捕虜収容所跡地で行われた式典では、日本とオーストラリアの関係者が多数参加し、哀悼の意と、平和への祈りを捧げました。
参加メンバー
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【バドミントン部・ソフトテニス部・卓球部】全国大会出場が決定しました
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2014.08.19 Tuesday 14:488月上旬に行われた中国大会において、山陽女子中学校の各部活動が優秀な成績に輝きました!!
その結果、以下の生徒が全国大会への出場が決定しています。
【バドミントン部】
団体戦 準優勝
個人シングルス 森川さん(中3) 準優勝
【ソフトテニス部】
団体戦 優勝
個人戦 柴原さん(中3)・立花さん(中1)ペア 第3位
吉本さん(中1)・原田さん(中1)ペア 第5位
【卓球部】
団体戦 第3位
個人シングルス 岡さん(中3) 第4位
山本さん(中1) 第8位
木村さん(中3) 推薦枠で全国大会出場
全国大会では、日頃の練習の成果を十二分に発揮しましょう!!
団体戦で優勝したソフトテニス部
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ひまわりプロジェクト始動!
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2014.08.18 Monday 16:59
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